展示品紹介

4150815ca7b2aadb2ba4

  展示品紹介


  展示品紹介
―なつかしの玩具玉手箱―
【50】金沢の米喰い鼠
 明治十(1877)年に来日し、大森貝塚を発見した動物学者エドワード・モースは、日本滞在記「日本その日その日」の中で、金沢の「米喰い鼠(こめくいねずみ)」に言及しています。
 加賀国石川県の郷土玩具はそのほとんどが北陸道随一の城下町、金沢を産地としています。玩具には有名な加賀の獅子頭、八幡起き上がり、加賀の練り物、水引細工などがありますが、いずれも京文化の影響を受けた繊細さと、北陸の厳しい風土から来る重厚さを兼ね備えているといわれます。
 初歩的なカラクリ細工の米喰い鼠もまた、金沢を代表するものの一つです。江戸時代の天保年間(1830-1844年)、金沢藩の足軽たちの内職として、当時流行のカラクリ仕掛けを応用して作り始められたということです。この地方特有の桐材の廃物を利用し、これを焼いてネズミの色調を表しました。胴と舌を結ぶ竹バネを押すとネズミの首と尾が下がり、米を食べます。
 打ち続く飢きん、中でも天保の大飢きんに見舞われた人々が、ネズミを自分たちに見立てて、米をおなかいっぱい食べたいという願いを込めて作りました。
 モースはその日記で、日本人のカラクリの才能と発想の豊かさに感心していました。

コメントを投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です