展示品紹介
展示品紹介
―なつかしの玩具玉手箱―
【26】大阪の人力車
戊辰戦争が終わってわずかに三年、東京日本橋箔屋町の和泉要助
らによって人力車が考案されました。カゴと馬しか知らなかった当
時の人々はこの新時代の交通機関に目をみはりました。その一年後.
、明治四年には新橋、横浜間の鉄道が開業しました。
郷土玩具の発生には、豊作や厄除けといった日常生活での祈りが
大きな要素になっていますが、この「人力車」は、それらの伝統的
なものとは異なり、新しい時代へのあこがれと驚きが込められてい
ます。
伝統的な人形、玩具類はそれぞれに「ふるさと」をもっており、
都市よりも地方にその起源を多く求めることができます。東北のこ
けし、九州のキジ車などすぐれて地方色豊かなものですが、製作技
術、着想など都市の影響も大きいといわれています。
人力車(相乗り車)もまず東京で生まれました。「糸引き物」と
いわれ、車のついている玩具を糸で引いて遊びました。チョンマゲ
姿の男子と美人が相乗りしているもの、一人乗りのもの、いずれも
張り子製です。
これは大阪市東区新清水(現天王寺区下寺町)の毎月十八日日の
縁日に一個一銭で売られていました。当時の風俗をうかがわせる珍
しい玩具といえるでしょう。
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