鯨泉を開発したそもそもの目的は、柏崎が「日本海側海水浴場発祥の地」であることを、広く知っていただくためでした。

4acd12432d5e9477be4d

鯨泉を開発したそもそもの目的は、柏崎が「日本海側海水浴場発祥の地」であることを、広く知っていただくためでした。


鯨泉を開発したそもそもの目的は、柏崎が「日本海側海水浴場発祥の地」であることを、広く知っていただくためでした。
1888年、柏崎の布施静雅堂という病院を訪れた元陸軍軍医総監で大磯において日本で最初の海水浴場を開いた松本順が、この地が健康増進に有効な海水浴に適している、と言ったことがその始まりです。
現在、その布施静雅堂は歯科医院として残っているのですが、この度、当時のことをお聴きする機会に恵まれました。そして、布施家の記録をまとめた書籍を拝見することができ、新事実をいくつも知ることができました!この資料は、柏崎の歴史資料として第一級の価値があるものでした。
この機会を作っていただいた、日大准教授の細田さん、大橋屋の奥様に、深く御礼申し上げます。

コメントを投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です